こんにちは、Daiです。
どうでもよい話なのですが、43歳の誕生日を迎えました!
丁度3年前に40歳になろうとしていた頃、私は俗にいう「不惑」どころか「惑惑」しまくっていたんですね(苦笑)
それは、なんとも言えないモヤモヤ感の中で自分を「だましだまし」しながら日々を過ごしていたことを自覚していたからだと思います。
「40歳にもなれば、そんなもんだよ。」と言ってしまえばそれまでなのですが(苦笑)なんとも人生の折り返しを迎え、これから自分はどう生きていきたいのか!?という事を結構マジメに模索していました。
そして41歳になる直前、たまたま仲間と油壷の海でとことん無心で遊んだ時間を通じ、その長いトンネルの先にある光を垣間見た気がしたのです。
▲インドネシアの漁船
それは、いろいろなことに「囚われている」自分の状態を解放すればいいんだ!という実感だったんですね。
そこから「自然遊び」の道具としてSUP(スタンドアップパドルボード、通称サップ)をはじめ、自然から得られる学びを実感したり、それを子育てに生かしたくなったり、ブログを書くことで自分の考えを整理したりと、30代とは全く違う感性で日常を送るようになったのでした。
▲漁民の町
2年の月日が流れる中、「人生を豊かにする」上で「物事をフラットに捉える」ことの重要性に気づかされました。
それは、仕事にせよ、家庭にせよ、何かしらの「事象」が起きた時に、それに対する自分のスタンスが非常に重要だということ。
人は相手から何かしら嫌なリアクションを受けた時、自分で勝手に「悪い意味づけ」をしてしまうものだなと。。。
▲大漁!ではない(苦笑)
例えば、妻に話しかけたとき、妻が眉間に皺を寄せながら私に返事をしたとします。
その態度に私は「イラッ」とし、そして「その態度は何だ!」となるわけです。
そこから口論がはじまり、巡り巡ってお互いを傷つけ合う結果になったりして。
よくある話じゃないかと(苦笑)
でもその「眉間に皺を寄せている」という表面的な事象に対し、「ウザがっている」という解釈は、自分が勝手にネガティブな意味づけで捉えているにすぎないんです。
妻が眉間に皺を寄せていたのは、「忙しかった」のかもしれないし、「お腹が痛かった」のかもしれない。相手のその時の状況や感情を理解せず、自分で勝手に「眉間の皺=ウザがっている」と捉えることで、相手にとっても嫌なリアクションを起こさせるような発言で返すことに。。。
完全に「ネガティブ・スパイラル」。
▲2004年のスマトラ島沖地震で津波によって破壊された橋跡
荒れる海を目の前にした時、それを決して自分に対するネガティブな意味づけなどをすることはせず、ありのままの「荒れる海」として受け止めますよね。
相手が自然であれば、目の前の事象をそのまま受け止めるのにもかかわらず、相手が人間になっただけで、自分で勝手に「悪い意味づけ」をしてしまうものだなと。
▲網漁をしていた陽気なオヤジ
逆に「悪い意味づけ」をする自分を自覚し、そうならないよう自分の気持ちを安定させることを意識すれば、どんなにネガティブな相手の「態度」であったとしても、変に惑わされずにフラットに受けとめることができるんじゃないかなと。
▲ここでも見つけた水上警察(爆)
その為にまずは、意識的に「自分の気持ちを安定させ、満たす」。そして「相手の視点でその状況や気持ちを想像してみる」というスタンスで日常を過ごせばいいことを悟り!?ました(笑)
するとなんとも不思議なことに「悪い意味づけ」をしていたことから解放されるではないですか!
本当に捉え方一つで解釈は大きく変わるんだなと。そして、それは自分の精神状態が大いに影響を受けているということを知った気がしました。
▲サーフボードで川を渡るローカル(笑)
表面的な周りの事象に囚われず、ひたすら自分の気持ちを満たす努力をする。すると世界は明るくなるに違いない!!
ということで、43歳になっても「気持ちを満たす」べく、引き続き自然の中で遊びまくろうと思います(笑)