こんにちは、Daiです。
親との子どもの遊びの学校「原っぱ大学」でお世話になったガクチョーのブログのエッセーが深くて面白い!
友人から「三度のメシよりゲームが好き」という高校生の息子のことを懸念する話を聞き、「情熱をもって取り組めることを見つけられたこと自体が素晴らしい!」と率直に口にするガクチョー。その一方で、ある思考の「罠」に気づきます。
「熱中することがあるのは素晴らしい。ただしそれでメシが食っていけるなら」と但し書きを付している自分がいたことに気づかされました。
そこから、中1思春期男子を抱える「父親」としてのガクチョーと、原っぱ大学で「今を思い切り楽しもうぜ!」と日々実践しているガクチョーの思考のスパイラルがはじまります。
その思考プロセスにいちいち共感(笑)
そして、ガクチョーがたどりついた想いは・・・
ただ、自分自身が過去の経験に縛られた、ある限界のなかで「親」をやっているんだ、ということを理解して子どもと接することができたらいいのかな、
ということと、
情熱を注げるものに出会えたことを祝福して、そこから彼らが何かを学ぶことを信じつつ、「情熱に任せて熱中する時間」を奪わない大人でありたいな
ということ。
ガクチョーが、自らを客観視したことで見えてきた「親」という存在。
私自身もそこに自分の価値観への謙虚さと、何であれ子どもの情熱を受け止める懐の深さを持ち合わせていたい、としみじみ思ったのでした。
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私は1973年生まれで、団塊ジュニア世代のど真ん中。両親は今後の受験戦争を見越し、中高大一貫の私立中学へ進学することで「のびのびと青春を謳歌してもらいたい!」と私に対して期待をしていました。
がしかし、私は全くもってそれに応えることなく公立中学へ(苦笑)
その後、7割強は大学へ内部進学できる付属の高校に入学しましたが、部活にも入らず、高校2年の早い段階で3割の方になり(苦笑)夜な夜な繁華街へ繰り出す始末。さらに卒業後も彼女と遊んでばかりで、結果、2浪して半端な大学へ進んだという我が身(苦笑)
「崖っぷち」からちょっと落ちたけど「奈落の底」までは落ちなかった!?という思いもあり、大学入学後は意識の変化と共に日々の過ごし方が180度変わりました。
今の自分の「立ち位置」を踏まえ、そこからどんな戦略で自分の人生を切り開いていくか!?ということをめちゃめちゃ真剣に考え、本や新聞を読み漁り、さまざまな行動をしはじめたのでした。
今、私自身、親になってみて子どもを自分が良しと思う方向にもっていきたくなってしまう(ガクチョーが言うところの「『成功パターン』に寄せたくなる」)と思います。でも、やっぱり本人の自覚が一番重要なんだと思うんです。
子どもが高校生ぐらいになっても、親の期待する「成功パターン」に対し、何の疑問も持たず、何も考えず、言われるがまま流されていくことのほうが、変化の激しくなるこれからの時代においてよっぽどキケンな気すらします。
むしろ、そこで繰り広げられる親子の「人生観のコンフリクト」が、子ども自身の「人生への向き合い方」のブラッシュアップに繋がるんじゃないかと!
近い将来、子どもが私の期待する「成功パターン(多分、イレギュラーなんですけど)」に反発してきたら、そこは「よし、キタ!!」と思って、まずは、自分の価値観に対して謙虚に、懐深く子どもの話を聞く。
そして、子どもが真剣に自分の人生を考え、切り開こうとしているかどうかを見極めて「斜め後ろ」ぐらいからサポートしてあげたいと思ったのでした。
実際、どうなるかはわかりませんが(苦笑)
ちなみに・・・
子どもが「自分で真剣に考え、自分で人生を切り開いていく」ことをどうやって学んでもらうのか!?ということを考えてみたところ・・・
きっと、それはきっと「ブーメラン」になるんだろうなと。
おやじになっても自分の人生を真剣に考え続け、自分で切り開いていこうとする姿勢を身をもって見せていくことが一番、その為の特効薬じゃないかなと。。。
マジか・・・
このところ「惰性」に身を任せてしまっているワタクシ。
ヤバいぞ(苦笑)