こんにちは、Daiです。
いよいよもうすぐ「平成」が終わります。
1989年1月8日に幕を開けた「平成」。そのとき私は、来たる高校入試に向けた追い込み勉強の真っ最中でした。
苗字に「平」という字のある私は、「『平』が『成』る!とは縁起の良い元号だ!」なんて、両親と盛り上がった記憶があります。
そんな平成の前半は、夜な夜な遊び呆けた堕落の高校生活に始まり、彼女と遊んでばかりの浪人生活へ。そして生き方を180度考え直し、さまざまな行動を開始した大学生活を経て、起きている時間は全部仕事!という社会人生活へと突入していったのでした。
平成の後半に入る頃には結婚をし、子どもを授かります。ずっとバタバタとしていた働き方は、子ども達の成長に合わせるように落ち着きはじめ、SUP(スタンドアップパドルボード、通称サップ)やキャンプを通じて自然に触れることで、人生観にも変化を感じるようになったという平成の30年間でした。
バブル崩壊による「失われた20年」は、気づけば「失われた30年」の兆しとなり、我々団塊ジュニア世代は「ロスジュネ世代」なんて揶揄されてきましたが、私自身にとっての「平成」とは、光と陰の入り混じった山あり谷ありの総じてエキサイティングな時代だったように思います。
人には誰しもそれぞれの「マイストーリー」があると思うのですが、わたくし齢45歳にして思うのは、人生の味わいとはその『振れ幅の大きさ』なのかもしれないということ。
人生のバイオリズムで言うところの「山の高さ」と「谷の深さ」の振れ幅というのは、比例しているように思えてなりません。
挫折や失敗、失望の谷が深ければ深いほど、その深さと同じぐらいの高さの喜びや感動の山を得られる。
ご存知、スティーブ・ジョブズの人生の振れ幅なんてもう超絶レベルですよね(苦笑)
一方、谷が浅く山が低いことが悪いわけでもなく・・・世間的にはそれを「安定」と呼び、多くの人が求めているような気もします。
私自身は程々の振れ幅だったと自覚していますが、まわりの先輩方や友人達には振れ幅のめっちゃ大きい人達がいるんです。
「振れ幅の大きい人生」が良いか悪いかは置いておいて、彼らに共通しているのは、自由であり、タフであるということ。
これから始まる「令和」という時代は、平成の価値観では測れない「振れ幅」の大きい世の中になることでしょう。
そんな時代を生きる上でのヒントは、きっと彼らのような「自由」と「タフさ」に違いない。
令和の時代、私もそれをテーマにしていこうと思います!