栃木から江戸までの舟運に想いを馳せたSUPクルーズ。第一弾の『北関東編』に続き、埼玉県三郷市〜地元豊洲までの第二弾『江戸突入編』を決行することに。途中、想定外の様々な困難に遭遇しますが、糸井隊長、遠藤さんと共になんとか乗り越え、大江戸の北端「千住」を流れる荒川まで到着したのでした・・・
そういえば、第一弾の「北関東SUPクルーズ」からの帰途、3人で荒川から分岐する隅田川の始点である岩淵水門に寄って帰ったんです。
東京の治水の歴史を語る上で、欠かすことのできない岩淵水門。
度重なる洪水に悩まされてきた東京の下町を水害から守る為の抜本策として、明治44年(1911年)に「荒川放水路事業」が着手されます。そして17年の歳月をかけ、岩淵水門~東京湾の河口まで人工的に掘削した放水路が、現在の「荒川」なんです。
つまり、荒川から岩淵水門で分岐している現在の隅田川というのは、昔は荒川だったわけです。そして「隅田川」という名称は、昭和40年(1965年)に正式に改称されたという。。。
めっちゃ最近やんけ(苦笑)
そんな岩淵水門を3人で眺めながら「ココからSUPで隅田川を下りたいよね~」なんて話していたのですが、今回はそこから12㎞ほど下流の千住エリアにて荒川から隅田川に突入ことになったのでした。
★★★★★
荒川から首都高速6号向島線に導かれ、隅田川方面へと向います。
吸い込まれるように水門に入っていき・・・
西郷隆盛が切腹したという明治10年(1877年)創業の伊澤造船を過ぎると・・・
河津桜とスカイツリーがお出迎え!
追い潮の流れに乗りながらパドルを漕ぐ快適な時間。
しかし、船舶がボチボチ増えはじめたことで、平和だった水面がざわつきはじめます。
アニメ界の巨匠、松本零士氏デザインの観光船「ヒミコ」と「ホタルナ」同時に遭遇。
桜橋から吾妻橋まで沿道約1㎞にわたり咲き乱れる通称「隅田川の千本桜」。満開時に来たらスゴいんだろうな・・・
そしてご存知、浅草のシンボル、アサヒビール本社にあるの「金のうんこ*1」オブジェ!
は、首都高速に隠れて見えなかった(苦笑)
浅草の中心部にある吾妻橋周辺まで来ると、垂直護岸にあたった船舶の引き波が、四方八方からの波を立たせ、グジャグジャな水面に・・・
これはこれでスリルがあって楽しいんですけど、落ちたくないのでたまらずニーパド(膝立ち漕ぎ)に。
南からの向かい風にもかかわらず、河口に向かって流れる追い潮の影響でSUPが進む!という不思議な感覚。
厳しい水面のコンディションを漕ぎ進むと総武本線がお出迎え。ということは、浅草橋や両国界隈ですね。
隅田川の魅力の1つは、さまざな形状の歴史的な橋が架かっていることなんです。
ドイツのケルン市にあった世界最美の橋「ヒンデンブルグ橋」をモデルにしたと言われる美しい清洲橋を越えると・・・
水辺のテラス「KAWA TERRACE(かわてらす)」が自慢のホテル「LYURO」*2。「清州洲橋醸造場」というブルワリーも併設してるんでっせ!
そして、男らしい骨太なフォルムの永代橋。日本初の鉄橋で「帝都東京の門」と呼ばれていたそう。
そして、高層マンションが並び立つお馴染み「大川端リバーシティ21」に到着!
ここからは内陸運河の大横川へと入り、咲き始めた沿岸の桜をゆっくりと楽しむことにしました。
三郷からのSUPクルーズの余韻に浸りながら桜を眺め・・・
無事に25㎞のクルーズを終え、我が地元豊洲へと帰ってきたのでした!
私は典型的なA型の性格で、段取りや計画を事前に立てて、スムーズに物事を遂行することを好むタイプだったんです。。。
初めての場所でのSUPクルーズであっても、事前に調べておいた繋がっている水路を巡るということを満喫することが多かったんですね。
しかし、この3人でのSUPクルーズの醍醐味は、「未知で不確実な水路を開拓する」こと。
水門が閉まっていたり、堰や障害物があったり、想定外のことが起きると一瞬萎えるんですが、気づくとその課題!?に向き合っていること自体を楽しんでいる自分がいたりして(笑)
きっと、2人の仲間の存在がそれをポジティブに捉えさせてくれたんじゃないかなと。
そんな我々の合言葉は・・・
「未知の水辺開拓は『責務』!」
この春から福岡の水辺に旅立った糸井さん。千葉、柏の葉での「街づくりプロジェクト」の任期も残すところあと1年という遠藤さん。
若い2人は、変化に対して積極的で素晴らしい!
私自身「変化の少ないつまらないオッサンになってはいないか!?」ということを自問しながら(苦笑)今という時間を大切にしなければ!と実感する春だったのでした。。。